みなさん、こんにちは。
今日は、冬の間にかなり強めに剪定しておいた「ラベンダー」について
少し話したいと思います。

このラベンダーは、勝手口に植えてある「うん10年もの」のラベンダーです。
近年どうも出てくる葉っぱが弱々しくて...
思い切って剪定を決意しました。
切りながらも
「芽が出なくなったらどうしよう」「花が咲かなくなったらどうしよう」
という不安に襲われながら
「ダメになる時はダメになるのだ」
そう自分に何度も呪文のように言い聞かせながら、根元からバッサリと刈り込んでしまいました。
刈り込んだことも忘れて、いつの間にか春になった頃、
ラベンダーにふと目をやると
本当にありがたいことに
しっかりと芽を出してくれていました。

まんまるとぷっくりとした新芽から
溢れ出してくる生命の喜び
そんなものを感じます。
元気になりすぎて待ちきれなくて
樹皮の小さな隙間から
ブワッと弾け出てきた
そんな印象です。
本当によかった。
そんな安堵感と共に、
いささかの物足りなさを感じていた私に気付きました。
こんなもんか
と残念に思っていると
ふと株元に目が行きました。
せっかくなので
シダでおおわれていた根元を少しだけ涼しくしようか
そう思って葉を軽く持ちあげると...

ラベンダーの新芽が
わっと
姿をあらわしました。
ひっそりとひとり
かくれんぼしていたのですね。
目を丸くしました。
シダをめくった途端
ラベンダーのフレッシュな香りが
目の前に広がって
それが鼻腔を伝って
わたしの頭の中の
まだ冬で眠っていた中心の中心
そこに春の知らせを
届けてくれたのです。
突然、感謝の気持ちと、安らぎと、
それと同時に
「命ってすごい」
その言葉が頭の中に浮かびました。
ふと、
「人生もこういうことあるよな」
そう思ったのです。
誰かがみるわたし、外の世界がみるわたし
そちら側からみるわたしの人生は
地味で、日々の大きな変化や動きもなく、
「こいつはこうやって生きていくのか」
といわれるようなものであっても、
わたしは今も生きているのです。
そういう人たちと同じように。
わたしというひとりの存在
その中では
いまこの瞬間も
脈々と生命が鼓動し
虫や鳥や草花と同じく、
一瞬一瞬を変わらずに生きているのです。
周りがなんといっても
休む時は休む時だから
その時が来たら全てが勝手に
元の状態よりも力強く
若々しく吹き返すことがあるのだ
と。
私たち皆、どんな状態の時でも生きている、存在しているんだと。
それだけでいいじゃないか、と思えたのでした。
自然と触れ合っていると
こういう小さなことから
たくさんのメッセージが送られている
ということに気づきます。
人間も自然の一部だということ
自然という生命の営みの一部なのだということを。
だから自分という自然物、その流れに逆らわず
休みたい時は休み
隠れたい時は隠れ
いつかくるその時まで
ひっそりと生きていれば
それだけでいいのだ
と。
本格的な春を迎えたいまも、
元気になりたい時、
励ましてもらいたいとき、
わたしはそっとこのラベンダーの葉を撫でます。
手にラベンダーの
「いのち」
が移って、それを嗅ぐ時また、
「私も今を生きている」
ということを感じるのです。

PS.
6月になった今、このラベンダーも無事
ポツポツとかわいらしい花を咲かせ始めました。
今年はまだ小さい花でも、
来年はきっとひとまわり大きな花を咲かせるでしょう。
今は見えない未来ではあるけれど、
毎日生きていたらその未来は自ずと訪れるでしょう。
だから今はただ
今を生きていこう
そう思いながら
またラベンダーの前にしゃがんでいます。
今日もお読みいただきありがとうございます🕊
またぜひこちらでお会いしましょう🌛

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